日本における治水の歴史について!水害から人々を守るために

日本は国土の75%が山地であると言われており、そのために川は標高の高い部分から標高の低い部分への距離が短くて、他の国に比べると流れが急であると言われています。
オランダ人のデ・レーケが日本の川を見て「これは川ではない。滝だ!」というセリフを残したことは有名ですが、そのために洪水や土砂災害などといった災害が発生しやすい特性を持っているとも言えます。
実際に日本では飲料目的や農業目的などで昔から川の恩恵を大きく受けてきましたが、一方で数多くの災害に巻き込まれてきました。ダムの建設や堤防の建設などによって洪水の数は昔に比べれば減りましたが、人口増加に伴って水害が発生する可能性が高いエリアにも人が住むようにもなっています。
今回はそんな日本における治水の歴史について、治水の歴史において重要なタイミングはいつだったのか、水害と地形の関係、地形分類と水害の関係、などについて書いていこうと思います。

治水の歴史において重要なタイミング

日本の治水の歴史においてよく名前が出てくる人物が武田信玄です。武田信玄は釜無川・笛吹川に信玄堤という堤防を作りました。霞堤という堤防を作って、たとえ洪水が発生したとしても、川の水を一時的に外に流すことで被害を抑制するように工夫しました。
明治時代になると治水においても西洋の進んだ文化が導入されるようになり、ダムや丈夫な堤防が作れるようになりました。この技術は日本全国に広がり、日本の治水レベルは飛躍的に伸びました。

参照記事
水防災意識社会とは?大規模氾濫に対する減災のための治水対策

水害と地形の関係について

日本で初めて本格的な洪水調査が実施されたのが昭和22年にカスリーン台風によって多くの住民が犠牲になった時でした。その洪水に調査によって水害と地形には大きな相関係数があることが判明しました。
これを契機に水害地形分類図が作られるようになり、地形分布を知ることで洪水になりやすい場所がどこで、洪水になりにくい場所がどこかを知ることが少しずつできるようになってきました。
その後、昭和35年に伊勢湾台風によって大きな災害がもたらされると、国土地理院で災害対策に必要な基礎調査が行われるようになりました。

この地形分類では対象となる土地が、どんな形をしていて、いつ作られて、どんな物質でできていて、どんな作用で作られたのかに従って分類されています。この地形分類が進んだことによって、日本の治水に関する対策は大きく前進しました。
以上、治水の歴史において重要なタイミングはいつだったのか、水害と地形の関係、地形分類と水害の関係、などについて見てきました。
日本はその地形の特性から水害が他の国に比べて発生しやすい傾向にありますが、そのために昔から数多くの対策がなされてきました。今後も水害による被害を少しでも抑制するために、技術革新が期待されています。

参照記事
スーパー堤防(高規格堤防)とは?荒川や江戸川の水害を防ぐために

参考サイト▪︎国土地理院「治水の歴史」