関東大震災からの復興!後藤新平と帝都復興の都市計画

2018.01.05

歴史の教科書でも学ぶレベルの大災害のひとつに「関東大震災」があります。日本の首都である東京に甚大な被害をもたらしたことで関東大震災は知られています。しかし、そんな未曾有の大震災も乗り越えて今では東京は世界有数の都市になりました。
この関東大震災を乗り越えるために復興事業が行われたのですが、それは今の日本が災害から復興する際にも参考にできる部分があるかと思います。今回はそんな関東大震災からの復興について、その中心になった後藤新平や帝都復興都市計画について触れながら書いていこうと思います。

関東大震災とはどんな地震だったのか

そもそも関東大震災についてですが、これは1923年に東京で発生した大地震です。関東大震災では地震による被害もさることながら、地震によって都市火災が発生し、それによって多くの人が犠牲となりました。
具体的には死者・行方不明者は10万人を超え、60万戸以上が全壊・全焼となりました。このように関東大震災は他の災害と比べてもかなり大きい被害をもたらしたと言えます。
今の東京駅周辺や浅草付近に至るまで、今の日本の核となっている部分が大規模に焼けてしまいました。この大災害から復興するためにいくつもの施策は打たれました。

参照記事
複合災害とは?その災害事例と防災対策について

関東大震災からの復興:後藤新平

関東大震災からの復興を語る上で重要な人物として「後藤新平」がいます。災害から復興するためにはいかに早く復興に向けて動くのかが重要ですが、後藤新平は震災翌日の9/2に復興院総裁に任命された日に「復興方針」と呼ばれるものを書き下ろしました。
その復興方針では東京から遷都をしないこと、欧米を参考にして最新の都市計画を立てること、など現在の東京が出来上がる核心となるものでした。その都市計画の中では大規模な区画整理や道路計画が盛り込まれており、その計画は今でも効果的であると高い評価を得ています。
関東大震災という未曾有の災害を乗り越えて今の東京を作ることができた功労者として後藤新平の名前は後世まで語り継がれています。

関東大震災からの復興:帝都復興の都市計画

東日本大震災からの復興を行うために帝都復興の都市計画が作られました。この計画では既成市街地に土地区画整理事業を適用したために反対する意見も多く寄せられました。
当初計画していたほどの予算をつけることができなかったために、計画の規模を縮小することにはなりましたが、関東大震災から復興するために作られたこの都市計画は現在の東京の基本モデルとなっております。
以上、関東大震災からの復旧について、後藤新平と帝都復興の都市計画に触れながら見てきました。現在の復旧に対する考え方でも関東大震災の復旧は使える考えがあるかと思います。

参照記事
地震の大きさを表すガルとカインとは?震度とマグニチュードとの違い

参考サイト▪︎国立国会図書館「後藤新平|近代日本人の肖像」