自助・共助・公助の三助とは?その意味と防災対策

防災に対する考え方は色々とありますが、その中でも押さえておく必要がある考え方として、「自助」「共助」「公助」の三助があります。もしかしたら何となく聞いたことがある人や、漢字から意味を察することができる人も多いかもしれません。今回は「自助」「共助」「公助」の三助について、それぞれの意味、この考え方が日本で発達するに至った歴史、その中でも共助の大切さについて書いていこうと思います。

自助・共助・公助の三助とは何か

自助・共助・公助の三助の意味をひとことで言うと、「自助」は災害時に自分自身の命は自分で守るということ。「共助」は町内会や学校区くらいの顔の見える範囲内における地域コミュニティで災害発生時に力をあわせること。「公助」は公的機関が個人や地域では解決できない災害の問題を解決することを言います。
イメージとして自助→共助→公助となるに従って対象となる範囲やスケールが大きくなっていきます。災害時の対応はどれか一つだけあれば良いという訳ではなく自助、共助、公助の全てが大切であると言われています。

(三助:内閣府HPより引用)

自助・共助・公助の三助は上杉鷹山が起源

自助・共助・公助の三助という考え方がいつから始まったのかということについては諸説ありますが、江戸時代に出羽国米沢藩(今の山形県や秋田県あたり)の藩主である上杉鷹山が「三助の実践」というものを考えたのが始まりであると言われています。
ただし呼び方が今の自助・共助・公助とは少し異なっていて、自助・互助・扶助の3つです。特に防災のために考えたという訳ではなくて藩をうまく統治していくために考えられました。
意味は現在のものとほんど同じであり、「自助」は自分自身を助けること。「互助」は近隣住民で助け合うこと。「扶助」は藩が助けに乗り出すことです。上杉鷹山は財政が破綻していた当時の藩をこの三助の実践に基づいて、奇跡的に立て直したと言われています。

一般的に、人は歴史から学ぶことが多く、過去の教訓を今に活かすことでより良い生活が実現すると言われています。大規模な災害時に江戸時代の考えが活かされているのは個人的にとても興味深いです。
いざという時には国が助けてくれるだろう、地震で家が半分壊れてもすぐに救助隊が国から派遣されてくるのだろう、と考えてしまう人も多いかと思います。しかし、実際の災害の場では国にできることには物理的な限界があるので、地域コミュニティや自分自身で解決しなければならない瞬間が必ずあるのです。
国を構成するのは地域コミュニティであり、地域コミュニティを構成するのは個人です。他の人たちのために自分は一体何ができるのだろうかという発想から防災を行うことが求められているのです。

自助とは何か?

自助・共助・公助の三助について全体像を見てきたので、次にそれぞれについて詳しく見ていこうと思います。まず自助についてですが、これは災害時には自分の命は何はともあれ自分で守るという考えです。
当たり前ですが、そもそも自分の命を守れなければ他の人や地域の安全を守ることもできません。そのために防災の知識を身につけるのも一つの方法ですし、地震などに備えて防災グッズを常備しておくのも一つの方法です。
大規模災害が発生してから何かをするのでは遅い時もあるので、大規模災害が発生する前からそれに備えてしっかりと準備しておくことが大切です。スポーツは試合当日ではなくて試合に至るまでの練習の段階で99%決まるなど言われていますが、防災にもそれが当てはまります。

参照記事
被災地の地域コミュニティ復興における再建過程について

公助とは何か?

共助に進む前に先に公助について書いていこうと思います。公助とは公的機関が個人や地域では解決できない問題を解決することです。東日本大震災の時には自衛隊の方々の活躍が報じられましたが、まさにあれが公助に当たります。
個人や地域コミュティで自衛隊レベルのエキスパートを揃えておくことは不可能ですので、そこは国が整備して日本全体をカバーします。実際に日本では災害対策基本法や防災基本計画等で法的にその役割が定められています。
ただし、先ほども申し上げましたが大規模災害が発生した際に、なんでもかんでも国に任せればいいという訳にはいきません。
例えば阪神・淡路大震災の時には被災者の数は30万人以上に上りましたが、地震当日に対応できる自衛隊の人は約8千人しかいませんでした。国ができることには物理的な限界もあるので、その際には地域コミュニティの共助が大切になってくるのです。

共助とは何か?

共助とは、町内会や学校区くらいの顔の見える範囲内における地域コミュニティで災害発生時に力をあわせることを言います。自助では災害を乗り切ることができなくて、かつ公助ではカバーしきれないような細かい範囲まで共助では助け合うことができます。
最近は近所付き合いなども疎遠になりつつあると言われており、「無縁社会」や「孤立死」などのキーワードが定期的にニュースでも報じられている通り、地域と個人との結びつきは疎遠になりつつあります。
しかし一方で、日本の高齢化はますます進んでおり、単身の高齢者が増えてきているので、自助で災害を乗り切るには限界があり、今こそ共助の精神が大切なのです。
実際に地域で助け合わない冷たい街という印象の強い東京でも、あらゆるところで共助の防災対策がされています。例えば富士見・飯田橋駅周辺地区帰宅困難者対策地域協力会では富士見・飯田橋駅周辺の町会、企業、大学、ホテルなどが共同で災害時の備えを行っています。これこそまさに共助を形にしたものであり、他のエリアでも同様のことが見られています。
まだまだ日本、地域、個人のそれぞれで防災についてできることは多くありますが、自助・共助・公助の三助のそれぞれがうまく絡み合うことで、たとえ大きな災害があったとしても被害を最小限に抑えることができるのです。

参考サイト▪︎内閣府「自助・互助・共助・公助」からみた地域包括ケアシステム▪︎富士見・飯田橋駅周辺地区帰宅困難者対策地域協力会