日和幼稚園、大川小学校の裁判から見る自治体・学校の防災の義務
日本は災害大国であり、毎年のように災害が発生してます。中には被災地に甚大なダメージを与え、大勢の犠牲者が出るような災害もあります。そんな自然災害そのものを防ぐことには限界がありますが、中には自然災害が発生してから適切な行動をとることで犠牲者を防ぐことができる時もあります。
しかし一方で、自然災害が発生する“異常事態”において冷静に行動することが重要といくら言われても、いざ初めてその瞬間に立ち会った場合には、冷静になれないこともあるかと思います。
防災の知識が一定以上なければそもそも災害時にどう行動して住民や学校の生徒を守れば良いのか分からなこともあるかと思いますが、実際に災害時にどう避難行動を行ったのかで裁判に発展するケースもよくあります。
東日本大震災の際にも、自治体や学校の避難に関する判断や行動が不適切であったということで裁判になり、自治体や学校側に損害賠償の支払いが命じられたケースもあります。
実際に東日本大震災の後にはどんな訴訟が行われ、どのような判決が下されたのかについて見ていこうと思います。
日和幼稚園における東日本大震災後の裁判事例
宮城県石巻市に日和幼稚園があります。東日本大震災の際にこの園が位置していた石巻市も大きな地震があり、この地震に対して日和幼稚園は園児が不安そうであり、できるだけ早く園児を親元に帰すべきだと判断して送迎バスで園児を親元に返そうとしました。
しかしその送迎バスを出したタイミングで津波が発生し、送迎バスがその津波に飲み込まれて5人の園児犠牲になってしまいました。これに対して遺族はこれだけ強い地震なのだから津波を予測することができたので、高台である幼稚園に残るべきであったと訴訟を起こしました。
日和幼稚園側は送迎バスのルートにまで津波が来ることは予測できなかったと主張しましたが、裁判所の判決は津波の危険性は予測できたものであるとしました。
最終的には日和幼稚園側が法的責任を認めて遺族に対して謝罪すると同時に和解金として6,000万円を支払うことになりました。
(津波で被害を受けた津波避難通路照明盤:災害写真データベースより画像引用)
とても複雑な裁判であり、どちらの意見が正しかったのかをこのサイトで議論をすることはありませんが、この裁判から言えることとして、防災に対する管理者側の責任はとても重いということは言えます。
幼稚園の先生たちは決して防災の専門家ではありませんし、地震によって津波が発生すると一般常識は知っていても、仮に自分の幼稚園でどれくらいの大きさの地震が発生したらどのエリアまで津波が来る可能性があるのかを事前に知っておくことはなかなか難しいです。
しかし、学校や自治体は多くの命を預かっていることも事実であり、災害のような人の命に関わる出来事が発生した際には、適切な判断が求められます。この責任を受け入れ、日頃から防災に関する知識を身につけておく重要性が一層高まった裁判であるとも言えます。
大川小学校における東日本大震災後の裁判事例
東日本大震災後の裁判は日和幼稚園だけではなく、他の学校でも行われました。宮城県石巻市の大川小学校でも被害に関する訴訟が行われました。大川小学校の訴訟では児童74人と教職員10人が死亡又は行方不明者となりました。
大川小学校では地震が発生した際に児童を校庭にいったん集めた後に三角地帯へと避難をしたのですが、その避難の仕方が裁判の焦点になりました。大川小学校は河口から約5kmの場所に位置しており、地震発生から津波の到達まで50分ほどの猶予がありました。
しかし、大川小学校側は生徒を校庭に集めた後に長い間、避難先について議論がされました。中には学校のすぐ近くの裏山に登って避難したいという意見もあったのですが、足場が悪く逆に危険という意見もあり避難場所が決まらずに時間だけが過ぎて行きました。
その後、三角地帯へと避難することになり、生徒と教員が避難を始めた段階で津波が襲い、学校の管理下にある子どもが犠牲になった事件としては戦後最悪となりました。
裁判の結果、裁判所は総額14億3千万円の支払いを県と市に命じる判決を言い渡しました。
この裁判の結論について、このサイトでは特に議論を行いませんが、この裁判からも日和幼稚園の事例と同じように、自治体や学校などの災害に対する管理責任はかなり重いということが分かります。
事前にしっかりと防災対策を行い、災害時にどう行動することが適切なのかを把握しておくことで犠牲者を少しでも減らすことができ、今回の裁判のような事件は少しでも減らせると考えられます。
以上、東日本大震災の後に起きた2つの裁判の事例を見てきました。災害時に適切な行動をするのは難しいです。特に防災の専門家でもない学校や自治体の職員が混乱している中で冷静な判断をするのはとても難しいと思います。
しかし、難しくて異常状態であったので出来ませんでしたでは、決して済まない話であると今回の裁判の事例からも分かります。
参考サイト▪︎内閣府「東日本大震災関連情報」